パートナー通信 No.45
2011年4月/No.45(通算61号)
2011年1月/No.45(通算61号)
日常に戻るということ
代表 大浦 暁生
このたびの東日本大震災では、多くの子どもが親を失いました。
テレビはその子どもたちのさまざまな姿を映し出しています。私がひときわ心をうたれたのは、一人の野球少年の生きざまです。まだ小学生ですが、未来のプロ野球選手を目指して、毎日投球練習をしていました。捕手役は若くて明るいお父さんでした。
地震の日、役場に勤めるお父さんは、最後まで職場を離れなかったといいます。地震のあと30分ほどはメールが届いていましたが、それもふっつりと途絶えて、あとはなにもかも、まったくわからなくなりました。手がかり一つありません。
しかし、少年はお父さんがきっと帰って来るとかたく信じて、今も毎日投球練習を続けているのです。もちろん、捕手の座にお父さんの姿はありません。かわりに緑色のネットが張られ、それに向かって少年は全力で球を投げます。
私が感動したのは、日常を取り戻そうとする少年のひたむきな心でした。肉親を失い、仕事も家も思い出の品もすべて失った人たちにとって、震災前の日常に戻ることにまさる願いはないでしょう。少年はその願望を自らの強い意思で叶えようとしているのです。
東日本だが災害地の外に住み、ボランティアに行く能力もなければ若くもなく、わずかな義援金しか出せない私のような者にとって、もっともたやすくできることは何か――。地震でいくらかでも乱された自らの生活を、もとの日常に戻すことかもしれません。
車にガソリンがあるのに満タンにしたくて何時間も並んだり、納豆を求めてスーパーを渡り歩いたりする非日常的なことはしない。安全なのに風評で野菜を買わないこともしない。仕事や行事はできるだけ続ける。一人一人が自らの主体的意思でその人なりの日常に戻ったら、それこそ日本はみごとに回復するのではないでしょうか。
(注・原文は縦書きです。)