子どもを誰ひとり見捨てない
温もりのあふれる社会に
-「子どもの貧困」の実態と支援体制を考える-
目次
3 基調講演:
彩の国子ども・若者支援ネットワーク代表 白鳥勲
- 長い間高校の教員をやってきました。5年前から生活保護家庭の中学生が高校に行っていない(70%の全日制進学率)という現状を何とかしようということで、厚労省の予算で県が企画し、中学生と高校生がいる生活保護世帯と就学援助世帯の家庭訪問とその子たちの学習支援を行っています。
- 5年前に5つの教室からスタートしました。その後、効果があるということでほとんど全市に拡がり、今年度から高校生教室が38、中学生教室が24,計62教室です。
- 私は、40年間の高校の教員生活のうち、37年間はいわゆる教育困難校で過ごしました。貧困層の子どもが来る学校に勤務していました。そして、貧困層の子どもたちとその世帯を見続けてきました。
- 1999年の派遣法などにより、2000以前と2000年以降の困難校の実態が様変わりしました。2004年に学年主任をした学年ですが、高校を中退しないようできる限りの指導をしましたが、201人の入学者に対し卒業したのは120人でした。81人がいなくなりした。その81人の世帯の状況は次のようです。
①親が正規労働ではなくなった。
②貯金のない世帯がほとんどである。
③シングルマザー・シングルファーザーが多い。
子どもたちはどうでしょうか。2000年以前はその学力は小6から中1でした。今はどうか。算数の学力でいうと、小2から小3です。一言で言えば、「底抜け状態」です。「自己責任の世の中」になり、結果的には、親からの支援を受けにくい子どもたちにいろいろ矛盾が収斂するのです。 - 「全国学力テストの分析」は今私が支援している子どもたちを説明するのに適しているので、 <資料1>を見てみます。このテストの結果で唯一使えるのは「学習状況調査(きめ細かい調査)」です。ここに書かれているのと逆の生徒に私は接しているのです。
- <資料4>「教育扶助(生活保護受給の小中学生)数の推移」(跡見学園大:雁咲子)を見てみます。1952年(戦後6年目)が69万人で、19963年(この年までは格差を減らそうという運動が一応あった)に9万人と減ってきて、それ以降(新自由主義化と自己責任の定着)増加に転じ、2006年は14万人です。確実に貧困層が増えているのです。
- 2000年以前と2000年以降で親の「子どもの退学」への対応が変わりました。2000年以前では親は子どもの退学に強く抵抗しました。親が子どもの将来のために頑張り、子どもに説教できました。2000年以降では退学手続きがあっという間に済んでしまうのです。これは、親が「労働者としての誇りを奪われた」と言うことと関係があります。2000年以前の貧困層はどんなに給料が安くても「非正規雇用」はなく、「正規雇用」で頑張っていた。人間としての、労働者としての生き様で子どもに説教することができたのです。
- その辺のことも含めて、今日のレジメでまとめさせていただきます。
- 埼玉県の社会福祉課から頼まれてやっているが、私たちは「善意のボランティア」ではありません。私も給料(20万円ちょっと)をもらっています。ボランティアで運営するというのは本当に難しいです。国なり県なりが財政的に保障することが必要です。
- 読売新聞に連載した「支える つなぐ」に書いたものを紹介します。
- =日々の生活で、親が何気なく行っている子どもへの「ごく普通の世話焼き」が、いかに大切なものなのか。貧困家庭で育つ中高生に学習支援を行う活動をしてきて、そう実感している。….
=….我々の学習教室で一対一の対応を大事にしているは、教育効果が高いためだけではない。「自分だけ」に眼差しを向ける大人の存在を、彼らが絶対的に必要としているからだ。….
=生活保護家庭の中学生を支援する活動をしてきて、子どもたちの変わり様に驚くことが幾度となくあった。そして、子どもの成長には、「甘えられる大人」「頼れる大人」の存在がいかに大切かを、この子たちから教えてもらった。….
=….しんどい環境を健気に生きてきた子たちは、支えを得て、甘えたり頼ったりすることを学ぶと、ぐんと大きく成長する。高校や家庭で、周囲の人を支えるまでに強くなった卒業生たちが、それを教えてくれた。 - 支援した子どもたちから、お礼などの手紙・文章をたくさんもらって本当にうれしく思っています。