パートナー通信 No.44

『なくそうこどもの貧困 守ろう子どもの権利』
- 9・11子どもの権利の実態と
貧困化について考える集い -

フロアからの発言(概要)

Aさん(定時制高校教師)
 生徒たちには喧嘩や非行問題行動やらと次々に起こってくる。お話を聞いて、自分がやっている状況が「焼け石に水」のようにも思える。ただ、どんなに大変でもその水をかけ続けなくてはいけない。水をかける人が次々と横に連携をとり、かける人を増やしていかなくてはならない、そんな風に思った。

Bさん(教育研究所所員)
 貧困にどう立ち向かうか。やれることをその場でやるということではないか。現場からの報告はみなそうやっている。「協同」の仕事にも取り組まれている。まず自分からその中に入っていく。お母さんたち、そしてお父さんたちも入ってくる。でも、実践者がみんなのお尻を叩くだけではダメ。そこには文化の力、自然の力がある。質の高い文化、豊かな自然を子どもたちと共有することが大切。今日はいろいろな階層の人たちが参加している。協同のステージに上がって、一緒にやれることからやって行こう。

Cさん(子どもの権利委員会会員)
 深刻な、過酷な事例をうかがって、また先ほどの発言を聞いて、正直に言って子どもたちの状況を「焼け石」のようにしてしまったのは大人たちではないか。子どもの権利条約が批准されて16年にもなるが、子どもたちの状況は悪くなる一方で、泣きたい思いだ。でも飯塚先生の
『田中の家に犬が来る』に登場する、輝いて生きている子どもたちにとっても勇気をもらった。

Dさん(弁護士)
 弁護士会でも「子どもの貧困と格差」というテーマでシンポを開く。貧困のしわ寄せ、いちばんの縮図としてそれが子どもに現われているという問題意識がある。大人が当事者として直面している問題の背後に子どもの姿が見え隠れするが、手が届かないというもどかしさを感じている。今日の話にあった「連携」に関して、背景の部分にまで関与することに躊躇があるのはなぜだろうか。

船橋(パネラー)
 貧困にしても、虐待にしても、深刻だからどこまでやらなければならないのか、一体自分はどこへ行ってしまうのかという不安がある。関わって行きたいと思ってもそれを同僚に話づらい。そこまでは教員の仕事ではないという意識があると思う。

Eさん(教育文化フォーラム会員)
 悲しい出来事が起こってしまったが、その子の本当の気持ちをじっくり聞いてやる人がなかなかいなかった。お金の問題・子ども同士の問題・進路実現の問題等々いっぱい出てきた。教師がそれを解決するって、極端にいうとそれは出来ないのではないか。乗り越えていく方法は、いかにたくさんの時間を子どもたちとの会話に費やせるかではないか。ちょっと勇気をだせばそれは出来ると思う。

Fさん(児童養護施設職員)
 社会適応という言葉があるが、社会が責任を持って子どもを育てる。それには「施設が育てる」と「里親が育てる」の2つがある。今施設では発達障害、虐待、精神疾患などさまざまなことがある。児童精神科医がなかなかいない。群馬思春期精神医療懇話会では、精神科医に子どもたちの姿をたくさん見てもらおうと取り組んでいる。
「学校」にスクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーを。まだまだ認知度が低い。両者が一緒に仕事ができる体制をぜひ学校に作ってほしい。県では「子どもの権利ノート」を作っている。これを真ん中にはさむツールとして子どもの声を聞くことが出来ると思う。

Gさん(保育園園長)
 政府の「新システム」という保育制度改変に反対している。切り売りのような保育では子どもたちの豊かな発達の基礎が保障できない。

<全部で10人の方の発言がありましたが、紙面の関係で
概要紹介としました。まとめ文責は編集部・加藤彰男>


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