パートナー通信 No.46

民主教育研究所・群馬現地実行委員会主催:

民主教育研究所・群馬現地実行委員会主催:公開シンポジウム 概要報告

自然・地域の再生を通して
教育の未来をきりひらく
-3・11を体験して考える-

 2011年6月18日(土)、前橋プラザ元気21で、公開シンポジウムが開催されました。東日本大震災のために中止された「第19回全国教育研究交流集会in群馬」で予定されていた企画を復活開催したものです。4人のシンポジスト、そしてコーディネーターからのレポートや発言の概要を紹介します。後半の質疑・意見交流は、紙面の関係で別の機会に譲りたいと思います。なお、この報告をまとめるにあたり民研編集・季刊『人間と教育』70号を参考にさせていただきました。

(報告文責・加藤彰男)

引き出すことと受け止めること

飯塚祥則さん(元・前橋市立元総社小学校教諭)

 飯塚さんは子どもたちの作文や保護者の手紙を紹介しながらこのように語ります。
 「10年ほど前までは、私はずっとどんなことを子どもに選ばせて書かせればよいか、書く必要のないものはなにか、書く価値のないものはなにかも含めて指導するのが教師の仕事だと思っていました。
 だから、書き直しや書き足しも必要になることもあり、題材や内容に私が直接関わることもありました。つまり「引き出す」ということです。
 でもこの働きかけは、子どもたち一人一人がそれぞれの色を持っていたとしたら、そんな子どもたちの色を私の色に染め変えていく行為ではないだろうかと思うようになったのです。
 しかし、私がよいと思い込んでいるものとは対極にあるものからでも子どもたちは育っていくことに、ここ何年かの間に気づき始めたのです。「子どもたち一人一人の違う色」が、より鮮明になっていくことが「私の色」でありたいと願うようになりました。
 それは、「引き出す」ということではなく、より深く「受け止める」ということでした。「引き出す」は、教師に向かって子どもを近づけること。「受け止める」は、子どもに向かって教師が近づいていくこととも言えます。
 ・・・ 中略 ・・・
 私が作文の指導法を大きく変えたことによって、現在の子どもたちは、以前の私には想像もできないほどの表現意欲に支えられ、教師が手を加えない「自然でありのままの表現」が可能となりました。」

主体的な学習の確立をめざして

松井孝夫さん(元・群馬県立尾瀬高等学校教諭)

 松井さんは今年3月末で異動するまで尾瀬高校・自然環境科の主任としてユニークな環境教育を創り出して来ました。木造の「自然環境棟」の教室に黒板がないことが、生徒たちが主体的に取り組む「体験型の学び」を象徴しています。ワークシートもペーパーテストもありません。四季折々の「尾瀬国立公園」、「日光国立公園」、上州武尊山、片品渓谷、校内植物園などの豊かな自然がフィールドです。ほぼ毎月の「校外実習とそのまとめ」を繰り返しながら3年間積み上げていく学習が柱になっていると考えられます。
 1年生は、外部の専門家あるいは3年生と実習に出かけ、自然についての知識や技術などの情報を自分のノートに集めます。集めた情報を自力であるいは班で確認し合いながらレポートにまとめ、最後は課題発表となります。2年生は、動植物・水質・大気などの自然環境についてそれぞれ自分の課題をもち調査を行います。調査結果の整理や考察をやはり自力であるいは班やクラスで討論して最終的に個人レポートにまとめます。3年生は、入学したばかりの1年生や小・中学生へのガイド役になります。また、自分が1年生のときにガイドしてもらった専門家の前で解説することになります。3年間の学びの成果が厳しく評価されます。研究計画・中間報告・研究成果などのプレゼンテーションが年間7回以上にもなります。
 松井さんはこのように述べています。
 「3年生や級友の活動を注意深く見ることで、自分がどのように活動すればよいのか、具体的にイメージできるようになる。また同じ過程を繰り返すことで、自分がどのように学習すれば、よりよく改善されるのか、理解できるようになる。そして、自分自身を正しく評価し、自分の成長を自分で確認でき、学びの楽しさ(充実感)を実感するようになる。
 目的やねらいを理解し、自らの行動を自らが決め、その過程を正しく自己評価できるならば、学習過程がスパイラルアップのサイクルになり、主体的な探求活動が成立する。」

田中正造と半世紀余

布川 了さん(鉱毒事件・田中正造記念館名誉館長)

 「3月11日の地震で、足尾町の入口に近い源五郎沢堆積場が、再度崩壊して渡良瀬川に鉛などの有害物質が流入したのです。足尾鉱毒事件は今だってあるんです。」
 1925年生まれのお歳を感じさせない布川さんの声が会場に染み通っていきます。
 「東日本大震災と、福島第一原発事故による大被害の報道を視て、私は「鉱毒悲歌」(怨の焔)を思い出しました。
 さて今日の社会にて 悲惨の数は多けれど 渡良瀬川の岸に棲む 民に勝れる者ぞなし 濃尾の地震は言うもさら三陸津波も悲惨なり さりとてこれらは天災で 人手で止まらぬ数 のもの
 鉱毒事件は人のわざ 人と人にて止むものを しかも乱暴の果てしなく 人の命を仆(たお)しゆく
 ・・・ 中略 ・・・
 1896年(明治29年)6月15日に三陸津波が襲ってきて、その年の秋に暴風雨がありました。渡良瀬川一帯も大水害に見舞われ、足尾銅山がたれ流す鉱毒によって、未曾有の被害をうけました。立ち上がった被害農民は、代議士の田中正造指導下に、鉱業停止請願の大運動を「鉱毒事件は人のわざ、人と人にて止むものを」と悲歌を高唱して、東京に「大押し出し」を決行したのです。」
 1958年(昭和33年)5月、源五郎沢堆積場が大崩壊、渡良瀬川下流に鉱毒が流出、東毛地区に大きな被害を与える事件が起きました。それから10年ほど、公害問題が激化する中で足尾鉱毒と田中正造に目が注がれるようになり、布川さんは『足尾銅山鉱毒史』をまとめ教職員組合の教育研究全国集会で発表しました。1973年(昭和48年)水俣で開かれた「第3回公害と教育の全国大会」に参加した布川さんは、胎児性の患者に接し、その悲惨さに衝撃をうけ、これはやらなければならぬと決心したのです。
 布川さんは、その後今日に至るまで地域に根ざしたさまざまな研究と運動を推進しています。「渡良瀬川鉱毒シンポジウム」(31回1973年~2003年)、「フィールドワーク」(32回1980年~2003年)、「田中正造を現代に活かすシンポジウム」(15回1996年~2010年)、「渡良瀬川にサケをよびもどす運動」(年中行事)、「正造思想の普及活動」、「谷中村遺跡を守る運動」、「田中正造の生家を守る市民の会」、「鉱毒事件田中正造記念館の建設」、「映画『赤貧洗うが如き』、演劇『亡国の構図』、立松和平『風聞田中正造・毒』『白い河』などの製作協力」、そして「草創、足尾に緑を育てる会」の取り組みです。今、赤茶けた足尾の山に鮮やかな緑が蘇りつつあります。

自然と地域の再生を教育の力に~群馬から「フクシマ」へ

朝岡幸彦さん(東京農工大学農学研究院教授)

 朝岡さんは、今年5月7日に訪れた福島県飯舘村の写真を映しながら、レイチェル・カーソンの『沈黙の春(Silent Spring)』の冒頭を紹介して話を始めました。
 「飯舘村の春は、確かに「沈黙」していた。「山笑う」季節に里山の木々や草花は美しく、虫は蠢き、鳥はさえずり、けものたちの気配も感じる。しかし、人びとは家に引き籠り、田畑も手入れされていない。人のみが「沈黙」した春を、私たちはどのように表現すればよいのだろうか。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、人が生活する世界で動物たちが「沈黙」する理由(わけ)を告発した。現在(いま)、私たちが目にしている「沈黙する春」は、カーソンが描いた世界の「もう一つの姿」に思えてならない。」
 そして、2つの理由から福島県を他の東北各県とは分けて考えたいと言います。その1つは、今まで経験していなかった放射能汚染の状況に直面している。もう1つは、現地の人たちに言うのは酷だが、おそらく10年以上故郷には戻れないだろう。飯舘村をはじめ福島の人たちの苦しみを「分かち合う」ことが大切ではないだろうか。でも、これは非常に難しい。非難した子どもたちが避難先で「いじめられている」という話を聞いた。確かめるために、伝のある飯舘村を訪れたが、「確かにある」ということだった。
 そういう状況のもとで、朝岡さんは、これから考えなければならない教育や学習のポイントが群馬の3人のシンポジストの報告にあるとして、飯塚報告から「『子どもたち一人一人の違う色』が、より鮮明になっていくことが『私の色』でありたいと願うようになりました」。松井報告から「他者に伝える(教える)ことによって学ぶ」。布川報告から「私は、正造の思想形成過程をさぐってみて、尊王思想が入り込んだ形跡をみつけることがついにありませんでした」という言葉を引き、それは、自然や地域という風土に根ざしながら、私たちが失ってしまったものを取り戻すための教育であるように思われる、と提起しました。
 では「失ったものを取り戻す教育」とは?飯舘村の美しい里山の景色を示しながら、「人は数十年、数百年、千年以上にもわたって自然に働きかけそういう生態系を作り出してきた。自然の向こうには過去から現在そして未来へつながる人の営みがある、人が暮らす社会がある、そういう想像力を我々は持てているのかということなのですね」と話す朝岡さんは、内山節氏の言葉を引いて『キツネに騙される力』をキーワードとして提示しました。高度経済成長を経て、理屈や市場的価値でものごとを考え、学校教育では答えに必ず正しいものと間違ったものがあり、正しいほうを選ばなければいけないという価値観に染まったしまった。かつてはもっと素直に自然や山と一体となってものごとを考えたり感じられたりしていた。そういう感覚を我々は1965年以降失ってしまった。だから「日本人はキツネに騙されなくなった」ということです。
 朝岡さんは「学びほぐす(unlearn)」という新しい概念を紹介しました。90年以降グローバリゼイションのもとで一体化・画一化する世界に適応し、格差を埋めようとして、一生懸命勉強し、いい点を取れば取るほど失うものがあると指摘され始めている。多様な社会や文化の在り方、生物多様性、人の生き方など「もう一つの学び」を尊重するということをちゃんと位置づけていかないと我々は大事なものを失ってしまうのではないかという問題です。そして最後に、「フクシマの問題はずっと続く。「ポスト・フクシマ」を教育の在り方の問題として、何を間違ったんだろうと、そういう視点から考え直すとき、群馬県の先生方の実践から「unlearn=もう一つの学び」の在り方が見出せるのではないか」と結びました。

これまで作り上げてきた日常を問い直す

梅原利夫さん(和光大学副学長)

 コーディネーターとして一言。3・12 にやる予定でしたが100日経ってやってみて100日経っただけの私たちの悩みや思い、希望への手探りが示されたように思います。今は被災地だけでなく日本中が異常事態、非日常事態だと思います。しかし私たちは日常の事態をどういうものとして思い描いたら言いのだろうとまた思います。つまり、今、防災教育や避難訓練がこれまでの教育にもう一つ付け加わっただけの、そういう日常の学校や教育に戻るのかということが問われている。
 これまで作り上げてきた大量生産・大量消費・大量廃棄、そして24時間追い立てられたこの生活や日本列島の在り方そのものが問われていると思うんですね。それを問い直さないでもとの日常に帰っていくということはやはりありえないだろうと、私は今日の話を聞いてすごく思いました。
 今日のテーマは群馬だけではなく日本の各地域で問うていかなければならないテーマであると思います。民研は全日本、全地球レベルに視野を置いていますのでいろんな地域でこういう試みや討議をしていただいて私たちなりに学んでいきたいと思います。今日は群馬の地域ということで本当に深い、元気の出るヒントをたくさんいただいたことを感謝いたします。


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