パートナー通信 No.46
2011年度「定期総会」第2部報告
不思議
高山 美枝
「私の思い話します・・・」に参加してから しばらく我が家では作文について話す事が自然と増えました。
私も主人も小学校の頃に書いた作文を引っ張り出して三人で読み合い ほめたり、けなしたり、笑ったり、思いを話したり。
そうして昔の作文を読んでいると、まるで写真を見ているかの様に、その時の状況や、風景がパッと浮かんで来ます。
作文の中の私は咲来と同じ2年生で、そこから沢山の想像や思いがふくらむのです。
写真もいいけど、こうして作文に残しておくってすっごく良いね。すっごく良いんだね・・・。そんな事を話すようになりました。
これまでも、咲来は楽しいことがあった時などは、自由帳や広告の裏などに作文っぽいものは書いてはいましたが、自分の気持ちなんかは、書いてなかったような気がします。そんなので、作文帳のようなものを持っていませんでした。
ところが、あの日の後から
「書きたい作文が頭にいっぱいで、あふれそうだ。」
と、飯塚先生が聞いたら泣いて喜ぶような事を言うので、私もその言葉にだまされてみようと比較的形から入る咲来に一冊の作文帳を渡しました。
すると、「作文を書いてみたい」という種火に、しっかりとした火がついちゃったみたいです。
ある朝、いつもの時間に起こしたのに
「もっと早く起こして欲しかったよー。」
「えっ。今日何かあったっけ?検尿?検便?」
と真っ青になった私に
「作文、書きたかったんだ~。」
と。
「ワァオー‼」
その時の私の気持ちは言葉にできませんが、例えると、花畑の中でヒラヒラのスカートをはいて、スローモーションでクルッとひと回りしてニコッ。って感じです。(笑)
思わず三つ指ついて
「明日は何時に起こしたらよろしいでしょうか?」
と正座です。
今まで、私が気が付かなかっただけかもしれませんが、「書いてみたい」「○○してみたい」ということで、咲来が私を驚かせたことはありませんでした。
作文って自分が思っていたのと違って、何を書いても良いんだ、自分の言葉で表現しちゃって良いんだ、特にここで書く作文は間違っても良いし、怒られない。それがどんなに心地いいかって事を感じ取って「気がついたら、また書いちゃったもんね」とでも言いた気に楽しんで書いているように見えます。
そして私が渡した作文帳は、清書用だそうで、何を書くにも下書きなどした試しのない私は、相変わらず広告の裏に書いている咲来に
「作文帳にジャンジャン書いて良いのに~。」
と言うと、
「こっちにはきれいに書くんだ。『田中の家に・・・』載る時、はずかしいからさ。」
と。
ずい分とデッカイ目標を立てたものです。
「咲来には、びっくりだ。お母さんが2年生の頃なんて絶対自分の作文を人に読まれるの、嫌だぁ。って思っていたのに、咲来は人に読んでもらっても 良いよ。って思ってるんだもん。」
「咲来も、最初は嫌だったような気がするけど、不思議だよね。」
と自分でもびっくりしている様子。
(不思議じゃないんだよ嫌じゃなくなったってことは、作文を面白いって思ってる証拠。楽しめてる証拠。)そう心の中で思いながら、
「不思議だよねー。」
と声を合わせて言いました。
この前まで、人前で読むの読まないのでフニャフニャしていた子が、短期間で、こうも変わったんです。
飯塚先生の言葉を借りると、まさに「受け止めてもらえる安心感」を見つけ出したのでは・・・。
そんなふうに思いながら娘の新作を読むのもまたいいものです。