パートナー通信 No.60

目次
『パートナー通信』60号 &
子どもの権利条約批准20周年記念特集 ①


私と「子どもの権利条約」

 「60号&20周年」を記念して、寄稿をお願いしました。これまでの活動をふりかえり、また、今を考えながら、私たちの活動の未来を展望してゆきたいと思います。

『パートナー通信』60号
おめでとうございます 淡路明子

 条約批准から20年が経つのですね。委員の皆様のこれまでのご活動に、心から敬意を表します。
 20数年前、子育てを始めた私が、自身が育った60年代との違和感に戸惑っていたのが、この「子どもの権利」という言葉に出会え前へ進めました。感謝でいっぱいです。
 その頃、豊かな時代に育つ子どもゆえ、逆に子どもが育つために不可欠な「何か」、「条件」と言ったようなものが欠けてしまったのではという不安が私を襲っていました。子育てに「何か足りない」と言うと、決まって「この豊かな時代に何を言っている」という反応しか返って来ないのがその頃でした。
 そしてある時私の所属する子ども劇場での活動の際、子どもだけの山小屋を作るという計画を立て、2坪くらいの床を親が作り、後は廃材で子どもたちが大工仕事を楽しみながら作ろうということになりました、が、なんと子ども達は、集めた廃材やブロックを破壊し始めたのです。それはそれは楽しそうに。
 これを見ていて思いました。子どもの創作というものは、「ゼロベースから始まる」ものなのだと。「与え過ぎている」ことをまざまざと見せられました。そして与えられ過ぎているこの時代に生きていることこそが、本来の育ち方を奪われているのだと。そこが豊かな時代に育つ子どもの権利として訴えられなくてはいけないところだと気付かされました。
 権利委員会では、その私の求める権利を当たり前の事として受け入れてくださいました。子どもの権利条約と委員会で製作された権利カルタは、この複雑な世の中で、子どもが育つ本能に添って育てるために、何を取捨選択すればよいか導いてくれるものでした。
 今時、先日12月初めの朝日新聞で、絵本作家の五味太郎さんが、「政治が『民』までも国家を維持するためのインフラと捉えてしまう」「税金を納める人が減ると困るから(中略)赤ちゃんまで国家のインフラ化する」という勘違いが起きている、とおっしゃっていました。これでは、子どもの育つ権利、学ぶ権利も存在できません。大人の都合のよい材料を詰め込まれる育ち方になってしまいます。
 カルタの中の「遊びは子どものエネルギー」という言葉通り、なにものにも拘束されない遊びの自由な時間の中で、子どもは本来育つ力の中に持ち合わせた、疑問を感じる、興味を感じる、といったことを通して、自然な学びへのモチベーションを手にするものなのだと思います。そこで手にしたさまざまな学びへの動機こそが、その子の個性であり、その探究心を手助けするのが大人の役割だと思います。
 教科書にたどりつくまでの子どものモチベーションをどう持たせるのか、その時間を保障することこそが大人の役割、その時間を得るのが子どもの権利なのではないでしょうか。そうすれば子どもは自発的に学びます。例えば、小学1年生でもゲームのために分厚い攻略本を読破し、漢字を覚え読解力も付いた子がいます。旅先のニューヨークで手に入れた好きな映画のメイキングの本を、辞書を片手に読む中学生もいます。緑の多い街に憧れた子が、独学でドイツ語を習い環境デザインを学ぼうとミュンヘン工科大に行きました。
 何のために学ぶのか、何のために生きるのか、自由な時間は、子どもが持っている力の中で思考を深めさせてくれます。打算のない、興味を持った事には寝食を忘れるほどの力を持った子ども時代の思考は、一生を通じて支えになるものになると思います。大人になって仕事や人間関係で生き詰まった時、それで救われるかもしれません。
 子どもの自由な時間を保障することは、その人の一生を保障する権利となるのではないでしょうか。
 今後とも、子ども達のために委員会のご活躍をお祈り申し上げます。


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