パートナー通信 No.67
「子どもをひとりぼっちにしない」ために…
「ひだまり子ども食堂」スタートへ 今村 井子
はじめに
結婚を機に、それまで勤めていた神奈川県立学校の教師を退職し(女性にとって教職は権利や給与、条件などとても恵まれているので、管理職はじめ同僚の先生方にさんざん寿退職は珍しいと冷やかされましたが)、群馬県碓氷郡松井田町に転居してきた。そして、早いものでもう13年もの月日が流れた。13年前はまだ「碓氷郡松井田町」であったが、その後「平成の大合併」が日本全国で巻き起こり、松井田町住民の9割近くが合併を反対していたにもかかわらず、「安中市」と合併。碓氷郡の名称はなくなり、「安中市松井田町」となった。しかし、実際は、人口4万人の旧安中市に2万人の旧松井田町が吸収合併された形となった。
そして、今年は合併十周年として、様々な催しが開催されている。しかし、その中にこの十年を振り返るような企画はない。この「新生安中市」の十年はいったいどんな十年だったのか?本当はそこを振り返ることに、これからの十年の方向性があるのではないだろうか?
また、5年前に起きた3・11がもたらした放射能問題に安中市がどう向き合ってきたのかも振り返ること抜きには考えられないといえないだろうか?
市政と市民。暮らしと政治。いつのまにか大事なことが「人ごと」になっているこの国で、せめて自分たちの町を自分たちで何とか出来ないか、とママたちが集まって立ち上がった「NPO法人Annakaひだまりマルシェ」も、この11月で3周年を迎えることになった。
走り続けたこの3年をどう見るかが、これからの課題を明らかにすることだといえるのかもしれない。前置きが長くなったが、この3年間の歩みから「なぜ、子ども食堂に至ったか」について明らかにしていきたいと思う。
「苦しんでいるママたち」との出会い
3年前から、子育て支援の一環として「あんなかミニ・ファミリー・サポートセンター」を実施している。これは群馬県の補助事業として行った子育て支援事業の一環だが、基本的には非収益事業と位置づけられた「自治体事業」である。20数年前に厚生労働省が打ち出した「ファミサポ事業」は、共働き世帯の増加と共にニーズが激増。現在、市町村700カ所以上50万人以上のファミサポ会員が子育てを支えあう活動に参加している。しかし、群馬県では、12市町で安中市だけが実施していない。そのため、困っているママ世代の私たちで、何とか自分たちのNPOで「ファミサポ事業」が出来ないかと始めたのが、県の補助事業の「ミニ・ファミサポ事業」だった。ちなみに、立ち上げ資金の300万円超のうち150万円は県が、残り150万円は自分たちの自己資金となり、市からの応援は一切得られない中でのスタートだった。そして、この赤字部分は未だに焦げ付いたままである。そんな苦しい運営ではあったが、実際「ファミサポ事業」をはじめてみると要望や需要があり、実績数は徐々に増えていった。またその中で、様々な子育て相談をママたちから受けるようになった。
残業や休日出勤など、様々な事情で、子どもを預けたいと相談にくるママたちは、たいてい色々な不安を話していかれることが多い。
「自分の子育てがこれでいいのか」「気になる子どもの様子は自分のせいではないのか?」などである。そして、それぞれに話を聞いていくといろんな家庭事情についても伺うことになり、その中でママたちがたいへんな状況にあることが垣間見られるようになった。
特にひとり親のママたちの悩みは深刻だった。「DVでやむを得ず離婚することになり、その調停中」だったり、「子どもがまだ小さいのに働かなければならず、でも、子どもと一緒に遊ぶ時間もない」など。そして、仕事探し。やっと就職したと思ったら、仕事が無く出勤日が少なくて収入減となり、また即就活、などだ。
そして、収入のこと。子育てにある程度時間がとられることや急な休みを取らなければならないとなると、収入の確保できる仕事に就きづらいのだ。
実は、この私も息子が1歳を過ぎたころ、ハローワークに一時期通ったことがあるが、そこで強く聞かれたのが「子どもが熱を出したら見てくれる人はいますか?」という質問だった。子育て中のママは働いてはいけないと暗にいわれているみたいで非常に腹が立ったのを今でも忘れられない。
そんなママたちの声を聞きながら、暮らしぶりに接するようになって、ここで何かできないか、・・・と考えさせられるようになったことがきっかけだった。また、社会では折しも「子どもの貧困」が社会問題になっており、子どもを支えるとは、その家庭に目を向けることではないかと思い「地域で子育て」の基本を「地域で支える形」として何か考えられないかと思い至ったことでもあった。
「食でつながる」…「ひだまり子ども食堂」開催
何かできないかと、いろいろ思いあぐねていた頃、東京で拡散している「子ども食堂」の取り組みについて聞く機会があった。そこには「食でつながることの楽しさ」や「わいわいがやがや誰も集える食事」があり、これは良いかもしれないと思った。
そこで、1月東京で実施された「子ども食堂シンポジウム」に出席し、多くの地域で立ち上がっている子ども食堂の話を聞き、このひだまりマルシェで出来る形を模索し始めた。地域それぞれでいろいろな形の子ども食堂があって良いこと、そしてその地域に合った形で実施することが大事なのだと強く思った。
但し、どの子ども食堂もほとんどが資金難。無償のボランティアさんとカンパや食材無償提供に支えられている。
さてどうしたものかと思っていたが、子ども食堂を始めたいとフェイスブックで告知したところ即座に5人のボランティアさんが集まった。そして、新聞社4社が、ほとんどおしらせをしない中であったのに、「子ども食堂ブーム」のせいかどしどし取材に来て下さった。そのおかげで「記事を見たけれど、食材を届けたい」「カンパしたい」などの申し出が多くあり、これまで3回「ひだまり子ども食堂」を開くことが出来た。そして、3回とも総勢30人以上の大人や子どもたちでわいわいがやがや、賑やかに食事を楽しみ、笑い、遊び、すてきな居場所になっている。来て下さったボランティアさんが「とっても楽しかった。またぜひ来たいです」といって下さることに手応えを感じている。また、困難さを抱えているご家族も「楽しかった。お米、食材の配布も助かります。月1回の子ども食堂を支えに頑張れます」といって下さることにも、必要性を実感している。そして、地域で独居の高齢者の方にも声をかけたところ「いつもひとりぼっちの孤食で、味気ない食事をしているが、ここに来ると子どもたちの楽しそうな声を聞けて食事が楽しい、心もお腹もいっぱい」と話して下さった。子どもも、大人もいっしょに味わい楽しめる場所、それが「地域で子育て」ではないのだろうかと思っている。
広がらない…「温度差のある大人たち」
しかし、「ひだまり子ども食堂」は、すでに定員いっぱいになり、問い合わせや申し込みに応えられなくなっている。
安中市には小中学校で350人もの就学援助を受けている子どもたちがいる。他にも子ども食堂は必要だし、まず知ってもらいたいと市議にチラシを配りに行ったが「協力をお願いするのはだめ」と議会事務局からストップがかかった。はたまた、教育委員会にチラシ配布をお願いしたところ、「子どもの貧困は福祉だから」と教育長からお断りがあった。いったいどこから子どもたちを守ることが出来るのか、自分たちの仕事範囲じゃないからと大人たちが線引きして、目の前の子どもを守れるのか?はなはだ疑問だった。
しかし、いいこともあった。地元の校長先生がチラシを自ら「夏休みだから」と要保護のご家庭にポスティングにいって下さったり、食材の寄付に来て下さったりしてくれた。「自分の出来ることはやるから」と協力的だ。
「ひだまり子ども食堂」がスタートして、まだ半年も経っていないけれど、小さな事からまず始めればいいのかもしれない。それがきっと確かな歩みにつながるに違いない。今はそう信じている。
次回は、その「ひだまり子ども食堂が教えてくれたこと」として続編です。