パートナー通信 No.68
国連子どもの権利委員会へ送る「群馬の基礎報告書」づくり
◆「群馬子どもの権利委員会」発足の頃
全国的に『子どもの権利条約』の早期批准を求める声が高まっていた1993年、「群馬子どもの権利を守る会」を母体に、群馬の小中高大教職員・市民が集う「群馬県民教育研究集会」・特別分科会「子どもの権利条約」の参加者が加わって「群馬子どもの権利委員会」が生まれました。1993年2月発行の「会報No.1」には、「指導・治療の名の下に人格までゆがめられる子どもたち」「実父を刺殺した高校生A子の場合」「教師による暴力の現場で、暴力に反対した」「文化祭と生徒指導」「子どもたちの頭髪自由化のたたかい」「学校改革の担い手をどこに求めるか」「子どもの権利に関する条約・政府訳の基本的問題点について」などの報告や論考が掲載されています。
1994年「条約批准」の頃には、不登校・登校拒否を考える親たち、共同保育所建設に力を尽す親たち、フリースクール建設に奮闘する親・教師たち、地域に親子劇場を広める親・子どもたち、母親・婦人運動を進める女性たち、人権・難民・環境問題などのアクティビストたち、民主的教育を目指して創造的な教育実践に取り組む教職員たち、そして図書館司書、保育士、小児科医、看護師、弁護士、文学者、演劇人など、350人を超える「子どもの権利委員=会員」が、それぞれの活動や仕事を踏まえて「子どもの権利委員会」の活動に参加し、1995年には、広く県民に向けてアピール「子どもの基本的人権と自由を確立し発展させましょう」を発表し、連帯を呼びかけています。
◆国連に向けた「市民・NGO報告書」づくり
過去3回にわたって、群馬の子どもたちが置かれている状況や子どもたちのパートナーである大人たちの取り組みを国連に届けようと「群馬の基礎報告書」をまとめる活動をして来ました。そして、日本政府に対する国連子どもの権利委員会の「最終所見・勧告」が届けられると、その「勧告」を踏まえて群馬の状況を改めて見直し、次に必要と考えられる活動をそれまでの継続的な課題(「条約・勧告」の普及、地域活動の掘り起こし、権利侵害の救済など)と結び合わせて進めてきました。
◆「第4・5回市民・NGO報告書」作成
2016年に入り「市民・NGO報告書をつくる会」から「第4・5回報告書」作成の提起を受け、「群馬の基礎報告書」作成の準備を始めました。この取り組みは、2010年6月の「第3回最終所見・勧告」以降の群馬県内の取り組みを振り返り、整理し直してまとめるという重要な意味もあると確認して作業を進めています。
まず、「つくる会・専門部会」の構成を参考にしながら、①「条約」「最終所見・勧告」の普及、②「東日本大震災」と「東電福島第一原発事故」の影響から子どもを守る、③「体罰」「いじめ」「不登校」「自殺」の問題、④「子ども・子育て支援新制度」と保育の現場、⑤「子どもの意見表明」「子どもをまるごと受けとめる」、⑥「学校教育」の問題、⑦「外国にルーツを持つ子どもたち」の問題、⑧「子どもの貧困」の問題、⑨地域の諸活動、の柱を立てました。
この9つの柱に沿って、これまでに取り組んで来た「県内市町村アンケート調査」と自治体訪問、『子どものけんりカルタ』やパンフ『わかりやすく言いかえた子どもの権利条約』の作成、『こどものけんりカルタ』を活用した親子行事や人権学習、「放射能汚染対策」「体罰」「子どもの貧困」などをテーマにしたジンポジウム、「無料学習塾」や「外国にルーツを持つ子どもたちの日本語教室」に取り組むNPOの活動などをはじめとして、会報『パートナー通信』に掲載された報告・論考や学習会で発表された資料を整理しまとめています。また、「子どもの最善の利益」を願って県内各地で粘り強く取り組まれている「子どもの居場所づくり・遊びイベント」「子ども食堂」「地域行政と連携した子育て支援ネットワーク」などの活動報告も集めました。
◆みんなの思いを託して
「条約」や再三の「勧告」に対しても極めて消極的な日本政府の姿勢が、結果として群馬でも子どもたちの命と暮らしを一層深刻なものし、まさに「待ったなし」の状況下で親・市民が動き出さざるをえないのだ、ということを国連に届けなければならない・・・そんな思いで、遅れを取り戻そうと仕上げの作業に入っています。
(編集部)