パートナー通信 No.83

目次

特集「子どもの意見表明権」②子どもたちは権利の主体です
=the child as a subject of rights
-意見表明権と参加-加藤 彰男(群馬子どもの権利委員会代表)

 英語教育月刊誌『新英語教育』(21年5月号・新英語教育研究会編)の特集「深く考える力を育てる―主権者教育と英語の授業」に代表・加藤彰男が寄稿した巻頭論文を新英語教育研究会の許可を得て条約英文の紹介を削除し修正加筆したものを転載いたします。

はじめに

 新型コロナウイルス感染症対策2度目の「緊急事態宣言」が延長されている中でおよそ1年前を振り返っています。子どもたちは育ちと学びの場に生きている主体とは認められず、目を向けられることもなく、突然一斉「休校」にされてしまいました。子どもたちが皆で集い1年間の育ちや学びの到達点をお互いに確かめ合い、新たなステップへの夢を膨らませる卒業式・修了式も奪われてしまいました。子どもたちが自らの思いや願いを大人や社会に向けて自由に表明する機会を用意されなかった施策に対して、先生たちは子どもたちの思いに何とか応えようと涙をこらえての対応をされていたと思います。子どもたちは「子どもの権利条約」で約束されているはずの大切な権利(とりわけ子どもの「最善の利益」「意見の尊重」)が侵害されていたと考えます。「子どもの権利条約The Convention on the Rights of the Child」と聞いたとき、英語教師の皆さんは何をイメージされますか。
 「子どもの権利条約」の一般原則は次の4点です。

  • 生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、 教育、生活への支援などを受けることが保障されます。
  • 子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。
  • 子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。
  • 差別の禁止(差別のないこと)すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

3つのP

 「子どもの権利条約」は、すべての子どもが「人格の全面的かつ調和のとれた発達を遂げ、十分に社会の中で個人としての生活を送れるように、とりわけ平和・尊厳・寛容・自由・平等・連帯の精神の下で育てられる」ことをめざした54の条文で構成されている国際条約です。(1989年国連総会採択、1990年発効。1994年日本批准)
 前述の一般原則の1つ「子どもの意見の尊重=意見表明し、参加できること(12条)」は他の人権条約には例を見ない、画期的なものであり、「子どもの権利条約」の思想の根幹をなしていると考えます。
 国連子どもの権利委員会(CRC)の「一般意見(注釈)General Comments No.12」では、「意見表明権」を「the right to be heard聴いてもらえる権利」としたうえで、子どもたちは脆弱な存在なのでprotection(保護)やprovision(条件整備)に関する権利を保障される必要があるが、さらにparticipation(自らの生活に関わることに「参加・参画する」権利=the child holds rights which have an influence on her or his life)という主体的な権利を持っていると展開しています。

子どもの最善の利益(条約3条)

「保育園、学校、病院、役所などでの世話をはじめ、子どもに関わることを行うときには、子どもにとっていちばんいいことをまず第一に考えなくてはなりません。」(パンフ『わかりやすく言いかえた子どもの権利条約』群馬子どもの権利員会編より)
条約英文のthe best interests of the childに「子どもの最善の利益」、a primary considerationに「第一義的な考慮」という訳が一般的に使われていますが、the best interestsという言葉から皆さんは何をイメージされますか。

子どもの意見の尊重(条約12条)

 「子どもの最善の利益」を第一に考えることと密接に関連しているのが「子どもの意見(表明)の尊重」です。
 「あなたは、自分に関わることはどんなことでも、自由に自分の考えや思いや願いなどを言う権利があります。大人は子どもの言うことに耳を傾けなければなりません。たとえばあなたは、学校や病院、裁判所や警察署などでものが言えて、まじめに聞いてもらえます。また、ほかの人に頼んで、代わりに意見を言ってもらえることもできます。」(パンフ『わかりやく言いかえた子どもの権利条約』より)
 日本では「意見」という訳が使われている views という言葉から何がイメージされるでしょうか。
 自分の思いや願いにじっくりと耳を傾けてくれ、丸ごと受けとめてくれるという安心感があれば、子ども(たち)は「あのね~」と話しかけてくれます。一方で、子どもにも「今は~まだ話したくないな」というときもあります。そんな子どもたち一人ひとりとじっくり向き合うことを保障する条件は整っているでしょうか。

日本政府に対する「懸念と勧告」

 「子どもの権利条約」の2つの重要な原則について見てきましたが、現実にはこれまでもあったさまざまな制約や不十分な条件の下、新自由主義の「競争と格差」の社会への変化が重なって、「3つのP」が大きく後退し、日本の子どもたちはさらにたいへん困難な状況に置かれていました。そこに新型コロナウイルス感染症の拡大が襲い掛かり、成長・発達、子育て・教育はもとより「生活のすべて」で、子どもも、先生も、保護者もよりいっそう深刻な状態に追い込まれていると感じています。
 CRCは2019年3月日本政府に対する「第4・5回をまとめた最終所見」を発表しました。54項目にわたる「懸念と勧告」で構成されていますが、中でも、「差別の禁止、子どもの意見の尊重、体罰、家庭環境を奪われた子ども、リプロダクティブ・ヘルスとメンタル・ヘルス、少年司法」に関する勧告では「緊急的な措置」が取られなければならないと言っています。
 「子どもの意見の尊重」についてのパラグラフの中では、子どもたちの自由な意見表明を抑え込んでしまう要因として「おどしと罰」が取りあげられています。これを特異な例とは考えずに、家庭、学校、地域社会のどのような仕組みや対応が該当するのか、また「おどしや罰」だけでなく子どもの自由な意見表明を妨げていることがいろいろありはしないか、子どもたちの目線から検証していく必要があると考えます。
 また、自分の思いや願いや考えを「表明する」ことが自分自身の生活のすべてに関わることに「参加する」ことに結び付けられています。「参加・参画する」ことによってはじめて自分とは違う人や世界と対面し学び、そのことによって自らの力をよりいっそう豊かにして、意義ある人生を創り出していく「主人公」になるということですね。グレタ・トゥンベリさんの意見表明・参加が世界中の若者の意見表明・参加「Fridays for Future」の大きなうねりを生み出しています。大学入試共通テストへの英語民間検定試験導入案に対して高校生たちも声を上げ一旦中止をさせることができました。「理不尽な校則」に対する子どもたちのキャンペーンも広がっています。

子どもも「市民=権利の主体」

 「子どもの権利条約」では、12条「子どもの意見(表明)の尊重」に続いて13条「表現の自由」、14条「思想、良心、宗教の自由」、15条「結社、平和的な集会の自由」、16条「プライバシーの保護」、17条「多様な情報へのアクセス確保」の権利についての条文があります。大人も子どもも区別なく一般的な市民権が確保されてこそ子どもたちは「権利の主体」として生きていくことになります。ようやく18歳選挙権が認められた日本ですが、子どもたちは「意見表明と参加」にまだまだ臆していると思えます。それは残念ながら今日までの学校教育の仕組みやあり方にも「抑制的に働いている」側面があったからと反省も含めて考えています。しかし本来は、学校教育こそが「子どもたちが前述のような諸権利の主体として自ら参加し、学び、成長していける可能性を開花させる場」ではなかったでしょうか。


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