パートナー通信 No.86
青少年の主張本を読むことで気づいたこと今村 光一(大学生)
私は春から大学に入学し、一人暮らしを始めた。大学での学修は、高校までの授業とも受験勉強とも異なり、より専門的な分野を探求し、自分の興味を広げていくことが重要である。その中で、私が春から積極的に取り組んでいるのが読書だ。私は入学前から、大学へ進学したらより多くの本を手に取り読むことを心がけ、最近は特に将来保育士を目指す自分にとって直結する分野である教育学や社会福祉制度などの文献を、毎日のように図書館に行っては読書スペースで読んでいる。その中でまだ読んだ本は十数冊とあまり多くないものの、本を読むことの重要性や活字に触れる大切さについて今回は書こうと思う。
読書といっても、本のジャンルは非常に広範囲に渡るが、今回は学術的な論文的傾向にある本について私の意見を述べたい。学術的な知識や論文が掲載されているいわゆる「評論文」は、主にその分野を専門的に研究している人が執筆したものが多く、そのほとんどが現在進行形で大学の教授として、研究や実験をしている人が多い。このような専門家の研究に基づく意見や指摘を記述した評論がなぜ重要なのか。それは言うまでもないかもしれないが、何度も重ねられた実験に基づく結果による確かな信憑性と、それをベースにした的確な指摘を我々一般人が簡単に手に取り、それらの有意義な情報をインプットできるからだと私は考える。
最近ではインターネットにより我々の暮らしは遥かに豊かになったといわれ、その分私達が手にとることのできる情報量も飛躍的に増加した。しかしその一方で、大衆の目に触れることとなる動画サイト上などでは、様々な人が自分の意見を発信しているが、その中で根拠のない発言、デリカシーやモラルにかけた言動、時には差別ともとられかねない過激な発言によって、しばし世間を騒がせるといったことが増えてきたように私は感じる。その点、前述した通りこれらの「評論」に関しては、仮説の検討を繰り返し行うことで、確かな信憑性が確立されている。
動画サイト上で自分の意見を述べることは決して「悪」ではないのだが···視聴者に与える影響は発信者の想定以上で、情報の受け取りる側に、一種の短絡的な考え方を定着させてしまうような気がする。またそのような根拠がないもしくは不十分な意見があまりにも多くの人に発信される場合、(発信者が非常に影響力のある人物であることを想定すると)それらの意見の表面的な部分のみを見ただけで、なんとなく賛成と反対の立場に分かれ、それを自分の意見として取り入れてしまうことに関してもつい私は疑問を持ってしまう。もし上記に心当たりのある人がいたら、ぜひ自分で考えた上で、自分の意見を持つことの重要性を再認識してほしい。
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