パートナー通信 No.96

2025年4月29日

寄稿 「唯一の戦争被爆国」やめませんか? 芦田 朱乃

 高校生の今村友紀さんが95号に書いた「原爆投下の是非」の記事を読んで、率直な疑問と力強い論述にとても刺激を受けました。そして、私も以前から疑問に思っていることを会員の皆さんと一緒に考えてみたいと思いました。
 その疑問とは、「『唯一の戦争被爆国』というフレーズを、政府だけでなく、平和を希求する民間組織や個人も使うのはなぜなのか?」ということです。

 放射性物質を使用した兵器による放射能被害にあっている人は、日本以外にもたくさんいます。例えば、湾岸戦争では劣化ウラン弾が対戦車砲として300トンも使用され、イラク国民や米英の帰還兵の間で原爆症によく似た症状が報告されています。
 そういう被害にあった人たちは「唯一の戦争被爆国・日本」という言葉を聞いてどう思うでしょう。「日本は自分たちを同じ被爆者だと思っていない」と感じるのではないでしょうか。私はこの表現をとても排他的だと思います。

 日本政府が「唯一の戦争被爆国」と言う理由を考えてみました。ただしこれは私の想像です。
 おそらく1つ目の理由は、劣化ウラン弾が定義上は核兵器でないからです。「核兵器」は兵器内で核反応を起こし、そのすさまじいパワーで対象物を破壊します。一方、劣化ウラン弾は放射性物質である劣化ウランを材料に使っていますが、核反応は起こさず、主に物質の重さ*によって対象物を破壊します。戦時下の核兵器使用による被爆国は確かに日本だけなのです。(*劣化ウランは鉄の2倍以上も重く、戦車の鉄の装甲をなんなく貫けるそうです。放射能があっても核兵器ではありません。核兵器禁止条約の対象にもなりません。)
 2つ目の理由は、国際社会で「唯一」の地位による注目と発言力が欲しいからではないかと疑っています。戦時下ではありませんが核兵器による被爆国として、核兵器の実験場になっていたマーシャル諸島の国々があります。でも連帯しない。連帯すると、被爆国として発言する際に関係諸国との調整が必要になる。単独のほうが都合がいい。そういう狙いがどこかにあると思うのです。

 でも、これらは政府としての理屈や都合です。核兵器廃絶や平和のために世界の理解と賛同を得たい民間組織や個人なら、そのような厳密な定義や排他的な言い回しを使わないほうが良いと私は思います。むしろ、長年にわたる放射能被害の経験を共有し、そのような兵器の非人道性を国際社会に対して一緒に訴える仲間として認め合える言葉を使っていくべきです。
 昨年の広島市の平和宣言や、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞スピーチには、「唯一の戦争被爆国」が使われていません。授賞式後の行進で掲げられた横断幕には「No more Hiroshimas, No more Nagasakis」と、ヒロシマとナガサキの後に複数形のsが付いていました。他の地域の被爆者たちに呼びかけているのだと感じました。

 「唯一の戦争被爆国」はキャッチーなフレーズですが、人と人とを分断する表現です。耳慣れているのでつい使いそうになりますが、これからは、使う前にちょっと考えて、もっと人をつなぐインクルーシブな表現に変えられないか、考えてみませんか。


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