1. 国連子どもの権利委員会「第3回最終所見・勧告」を読む
(5)「教育の領域」に関すること=「高度に競争主義的な学校環境」の問題
加藤 彰男(群馬子どもの権利委員会事務局長)
このシリーズの第1回は〔調整〕〔国内行動計画〕、第2回は〔資源の配分〕、第3回は〔『新自由主義社会日本における子ども期の剥奪』〕、第4回は〔差別の禁止〕〔子どもの最善の利益〕〔子どもの意見の尊重〕〔生命、生存および発達に関する権利〕などに触れてきました。第5回は今日の日本の子どもたちにとっても、保護者にとっても、教育関係者にとっても、重大な関わりのある「教育の領域」に関する最終所見・勧告を読んでみたいと思います。
【調整】
パラグラフ 70:
本委員会は、日本の学校制度が並外れて優れた学力を達成していることを認識しているものの、学校および大学の入学をめぐって競争する子どもの数が減少しているにもかかわらず、過度な競争への不満が増加し続けていることに留意し、懸念する。本委員会は、また、高度に競争主義的な学校環境が、就学年齢にある子ども間のいじめ、精神障害、不登校・登校拒否、中退および自殺に寄与しうることを懸念する。
パラグラフ 71:
本委員会は、学力的な優秀性と子ども中心の能力形成(child-centered promotion of capacities)を結合し、かつ、過度に競争主義的な環境が生み出す否定的な結果を避けることを目的として、大学を含む学校システム全体(the school and academic system)を見直すことを締約国政府に勧告する。これに関連して、締約国政府に、教育の目的に関する本委員会の一般注釈1号(2001)を考慮するよう奨励する。本委員会は、また、子ども間のいじめと闘うための努力を強化すること、および、いじめと闘うための措置の開発に当たって子どもの意見を取り入れることを締約国政府に勧告する。
日本の「高度に競争主義的な学校環境(過度に競争主義的な環境)」の問題については、過去2回の最終所見で次のように勧告されてきました。
◎1998年の第1回勧告:パラグラフ22「児童が、高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされている・・・」。パラグラフ43「高度に競争的な教育制度ならびにそれが児童の身体的および精神的健康に与える否定的な影響に鑑み・・・過度なストレス及び登校拒否を予防し、これと闘うために適切な措置を・・・」。
◎2004年の第2回勧告:パラグラフ49-a「教育制度の過度に競争的な性格が子どもの肉体的および精神的な健康に否定的な影響を及ぼし、かつ、子どもが最大限可能なまでに発達することを妨げていること」。
今回の第3回勧告でも「懸念」が表明され、しかも、第1回・第2回勧告では「身体的・精神的な健康への否定的影響」と包括的にのべられていましたが、今回は、「子ども間のいじめ、精神障害、不登校・登校拒否、中退および自殺」と具体的な問題を列挙しています。日本の子どもたちが追い詰められている深刻な状況が国連子どもの権利委員会でもよりリアルに捉えられたと考えられるのです。
さらに、今回は「大学を含む学校システム全体の見直し」を勧告するに当たって、「教育の目的に関する一般注釈1号(2001)への考慮」に言及しています。この「一般注釈1号」は、子どもの権利条約第29条1項についてのものです。では、第29条1項を見てみよう。
子どもの権利条約 第29条1項
1 締約国は、子どもの教育が次のことを指向すべきことに同意する。
子どもの権利条約 第29条1項
- (a)子どもの人格、才能、ならびに、精神的および身体的能力をその可能最大限度まで発達させること。
- (b)人権および基本的自由ならびに国際連合憲章にうたう原則に対する尊重を発達させること。
- (c)子どもの父母、子ども自身の文化的アイデンティティ、言語および価値、子どもの居住国および出身国の国民的価値観、ならびに自己の文明と異なる文明に対する尊重を発達させること。
- (d)理解、平和、寛容、および両性の平等に関する精神、ならびに、すべての人民、民族的・国民的・宗教的集団、および先住民の間の友好の精神に従い、自由な社会における責任ある生活のために子どもを準備させること。
- (e)自然環境に対する尊重を発達させること。
従って、今回の勧告は、「学力の優秀性に特化した教育を行うのでなく、人格の全面発達を目指す教育の中に学力形成を位置づけ直すこと」(世取山2010.6.)を日本国政府に求めていると言えます。日本国政府は、3回の勧告で継続的に指摘されていることの改善に直ちに取り組む責務があるのです。と同時にこれは、学習指導要領、検定教科書、種々の官製研修、教育委員会からの指導などによって、教育課程編成権を著しく規制されている今日の学校現場に対しても、「感情、体力、社会性、道徳性、芸術性などの人格を構成する諸側面と連動させてこそ学力が実効的に獲得されるのか、それとも、学力だけに特化した教育によって効率的に学力が獲得されるのか」(世取山2010.6.)の基本的な問題を投げかけていると言えましよう。 (注:世取山洋介2010.6.19「第3回最終所見を読み解く」子どもの権利モニターNo.103)
教育をめぐる困難な状況は、いわゆる「新自由主義改革」によってその深刻さを増し、極めて危険な状況に陥っているのが実態です。さまざまな領域での格差の拡大、労働・雇用条件の悪化、経済力の低下→養育責任を果たすことができない親、競争主義的な教育制度のいっそうの競争主義化と管理主義化、受益者負担増、保育制度民営化などが極めて直接的に子どもたちへ悪影響を及ぼし、子ども期の剥奪と人間関係の崩壊を来たしています。それに加えて、東日本大震災と原発事故の影響には計り知れないものがあると考えなければなりません。
子どもたちと保護者の状況が、そして学校・教職員が置かれている状況が困難であればあるほど、子どもたちと直に接して教育活動にあたる教職員が、子どもたちの父母・保護者と共に、自らの課題として実践的にこの問題を解明し、子どもたちの「最善の利益」に資する教育活動を学校現場から創り出し、学校を変えていくことが求められているのではないでしょうか。
私は、すべての(と言って良いと思う)教職員が人事評価制度の下での管理強化と多忙化の中で呻吟しながら苦しい実践を強いられているが、その困難な状況の中でも少なくない教職員が、上に述べた課題に答える創造的な実践を行っていること知っています。これをより広く、子どもたち、保護者・地域市民、教職員で共有できるようにすることも、私たちの大切な仕事の一つであると考えるのです。
この困難な状況を、子どもたちのありように目を注いで切り開くキーポイントは何か?
それは、子どもの意見表明権の尊重、言い換えれば「第3回報告書をつくる会」が言っている「受容的、応答的関係」であると考えます。
再度、今回の勧告のパラグラフ43、44を読み返してみます。
【子どもの意見の尊重(子どもの参画)】
パラグラフ 43:
学校において子どもの意見が考慮される領域が限定されていること、ならびに、政策策定過程において子どもおよびその意見が省みられることはめったにないことを、引き続き懸念する。本委員会は、子どもを、権利を持つ人間として尊重しない伝統的な見方が、子どもの意見に対する考慮を著しく制約していることを懸念する。パラグラフ44:
子どもに影響を与えるすべての事柄について、子どもがその意見を十分に表明する権利を促進するため措置を強化することを締約国政府に勧告する。
(群馬子どもの権利委員会会報『パートナー通信』No.48 (2012年1月)より)