パートナー通信 No.43

2010年10月/No.43(通算59号)

2010年10月/No.43(通算59号)

20年の歴史、あれこれ、そして今を語る - ④パンフレット作成の頃

八木 清江(前橋市)

 群馬子どもの権利委員会が発足したのはいつの頃だったでしょうか、はっきりと覚えて いませんが、第1回の会報は1993年2月に発行されています。同年6月にNo.2発行、 会員は260名と記録されています。もちろん今はもっと多いでしょう。
 子どもの権利条約は、1989年に国連で採択され、1994年に日本も批准しました。 条約は日本政府代表も参加して作成されたものだったと思いますが、日本政府が批准する のには、市民運動などの盛り上がりが不可欠だったのではないでしょうか。

  私たち群馬子どもの権利委員会の目標
 私たち群馬子どもの権利委員会が主な目標としたのは次の2点だったでしょうか。

  1. 条約の批准を日本政府に働きかける。
  2. 広く県民にこの条約を知らせていく(これは条約42条の条約広報義務ですが)。

この2点を軸にして具体的には直接子どもの、或いは親の悩み相談にも応じました。県の教育委員会を訪問したり、議会を傍聴したりもしました。私にはみな初めての体験でした。日本政府はこの条約の批准に消極的だったので、私たち市民が声をあげることになったのです。

  三人の仲間
 群馬子どもの権利委員会の活動をひっぱってくださった由上修三さん、黒沢力さん、友重淑郎さんは特に忘れられません。三人とも今は亡き人になってしまいましたが、由上さんは小児科のお医者さん、黒沢さんは中学校の先生、友重さんは児童相談所関連のお仕事だったと思います。私たちは職業などには関係なく、みな一人の市民として仲間でした。

  小冊子の作成
 会の活動の一つに小冊子の作成がありました。表紙も含めて24ページ、確か数万部作成して小学校や保育園、図書館や公民館などに配布して歩きました。全校生徒に配布したという学校現場からの要望に応え、大量の部数を印刷しました。作成に必要な印刷費は赤い羽根共同募金などによる県からの助成を受けました。会の活動は社会的活動として認められていたのです。もちろん会員の皆さんのカンパも大きな力になりました。

   学校現場のとりくみ
 会員の関口信子さんが勤めていた玉村町立上陽小学校では、職員の校内研修で子どもの権利条約をとりあげ、会へ講師依頼がありました。高橋清一さんが講師として行きました。その縁で会へ卒業式の案内が来て、私たち世話人も参加させていただきました。
 卒業式は朗読劇のように構成され、卒業生全員がみんなで学んだ憲法と子どもの権利条約をよみあげました。憲法と子どもの権利条約に送られて巣立っていく卒業式にたいへん感動したことを、今でもなつかしく思い出します。


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