パートナー通信 No.53
スポーツと体罰・暴力を考える 山西哲郎(立正大学社会福祉学部教授)
「スポーツを行うことは権利の一つである。各個人はスポーツを行う機会を与えられなければならない。そのような機会は、友情、連帯そしてフェアプレー精神に基づく理解が必須である。」(オリンピック憲章より)
高校の部活には、自宅の手伝いのために入部ができず、ただ一人で走っていた私にとって、このひと時は日々の生活の気晴らしと自由な時間と空間となっていました。大学に入って体育・スポーツを専門に学び、スポーツは憲法で保障された基本的人権の一つであると教えられ、少年の頃の走りがそうだったのだと納得しました。
また、スポーツの始まりは気晴らしと遊び(play)でありそれが発展して身体文化としてのスポーツになったという定義には、私の子どもから大人になる過程に似ているなと思ったものです。
やがて大学や高校のスポーツ・運動部活動の指導者となって学生や生徒を教え始めた現場時では、スポーツは人権であり、遊びで気晴らし、自由であることの理念とは矛盾した行動や言動をせざるを得ないと悩んだこともあったのです。その一つに練習や大会での指導の際の言葉が彼らの心を傷つける暴力的行為になると思ったことです。
今、思えば教え・学ぶという立場が変わればこれほど自分自身も変わってしまうかと恐怖を感じざるをえませんでした。だから、今回の運動部の体罰事件からオリンピック選手の暴力問題はスポーツや体育の場で活動するプレイヤ―や指導者にとっても衝撃でしたが、自らのことのように思えてなりません。
私は、現在、スポーツ・体育の我が国最大の学術研究団体である日本体育学会の会長をしています。本学会でも上記について緊急声明を出し、全会員に今までにもこのようなことが生じていながら専門的、自浄的に徹底して対応していなかったことに反省して「体育・スポーツの本来的姿を改めて確認をして運動部における体罰根絶に向かう」の決意をしました。
21世紀はスポーツの時代と呼ばれるほど、スポーツはあらゆる人たちの生活や人生を豊かにするといわれていますが、かつてのスポーツは若い強者のアスリートたちのものでした。しかし、1970年代から高齢者や女性、そして障がい者といったそれまでスポーツに縁のなかった弱者が参加する権利としてみんなのスポーツ(sport for all)憲章が設定されました。そして、その後、世界各地の戦争根絶、社会的環境つくり、地域や家族の生活つくりと交流、健康の歪みの予防と再生といった課題を解決し、貢献するスポーツとして期待されているのです。そのスポーツが、学校教育のなかで保健体育の授業と部活動として位置づけられ、生徒たちはスポーツの意義と方法を学んでいます。1800年代にイギリスのパブリックスクールで勉強に疲れた生徒たちに、午後、グランドに出てスポーツを楽しむ時間と場を与えスポーツクラブ活動に発展し、今日の日本でも運動部がスポーツへの平等の機会を与える役割を果たすと位置づけられたはずです。
さてこのようなスポーツ理念を持っている運動部活動で体罰・暴力が、なぜ起きてしまうのか、その対応はいかにすべきかの提案を語らなければなりません。
その一つは、スポーツの理念と人権をみんなのスポーツの時代にふさわしく、すべての人が認識をもつ。学校では教育としての共通理解として学ばなければなりません。
2番目は、勝利優先主義に陥ってしまいがちであること。我が国は小中高から全国大会がある珍しい国であり、まだスポーツ理念や体力、技術、精神力が未発達の頃から勝つという結果を追い、本来の動く楽しみ遊び感覚や仲間つくりなどスポーツの本質を失ってしまうことです。
3番目は、学校生活で文武両道という調和のとれた活動ができず、進む方向が片寄ってしまう。それでは教育としての範疇から外れるだけに、部活動が調和のとれた学校生活をつくるという目標をめざす必要があります。
4番目は、教師や指導者が正しいスポーツ教育をしっかり受けていないこと。スポーツ指導には専門的な理論と実践を学ぶことが必要ですが、現状は認定講習のような簡便な形でしか実施されていません。それには、教師も指導の理念や理論を研修するとともに、部活動が自らのスポーツを学ぶ教室だと考えることです。
5番目は、教師や指導者の孤立。指導者の連絡協議会を組織化して、互いに対話ができる関係であれば、体罰や暴力の状況を監視、相談ができるのです。
スポーツは今日まで人間がつくった文化ゆえに、これからももっと青少年たちにふさわしいスポーツを作っていく精神が必要です。スポーツは人生のもう一つの味のある道なのですから。
体罰の問題に関して国連子どもの権利委員会から日本政府に向けて出された「第3回最終所見・勧告」(2010年6月)の内容を紹介します。
【体罰】
47 本委員会は、学校において体罰が明示的に禁止されていることに留意するものの、禁止が実効的に実施されていないとの報告に懸念を表明する。本委員会は、すべての身体罰が禁止されるとしなかった1981年の東京高等裁判所のあいまいな判決に留意し、懸念する。委員会は、さらに、家庭および代替的ケア環境における体罰が法律によって明示的に禁止されていないこと、ならびに、民法および児童虐待防止法が、特に、適切な懲戒の行使を許容し、体罰が許容されるのか否かについて不明確であることを懸念する。
48 本委員会は、締約国政府に以下のことを強く勧告する。
- (a) 家庭および代替的ケア環境を含むすべての状況において、体罰およびあらゆる形態の品位を傷つける子どもの取り扱いを法律によって明示的に禁止すること。
- (b) すべての状況において体罰の禁止を実効的に実施すること。
- (c) 非暴力的な代替的懲戒に関して、家族、教師、および、子どもとともに・子どものために働くその他の専門的なスタッフを教育するための、啓発キャンペーンを含む対話プログラムを実施すること。
【子どもに対する暴力に関する国連研究のフォローアップ】
49 本委員会は、子どもへの暴力に関する国連事務総長研究(A/61/299)に関して、以下のことを締約国政府に勧告する。
- (a) 子どもに対する暴力に関する国連研究の勧告を実施するために、東アジア・太平洋地域会議(バンコク、2005年6月14日~16日)の成果および勧告を考慮して、あらゆる適切な措置を取ること。
- (b) 以下の勧告にとくに注意し、上記研究に示された子どもに対するあらゆる形態の暴力を廃絶するための勧告を優先的に実施すること。 ①子どもに対するあらゆる形態の暴力を禁止すること。②子どもとともに・子どものために働くすべての者の能力を向上させること。③子どもの回復および社会再統合サービスを提供すること。④子どもが利用でき、かつ、子どもに優しい通報システムとサービスを創設すること。⑤説明責任を確保し、免責を廃止すること。⑥体系的な国内データ収集および研究を開発し、実施すること。 (以下省略)
〔「第3回最終所見・勧告」の全文はDCI日本支部サイト内の次のページで読むことができます。
http://www.dci-jp.com/syoken3.html<現在、開けません。> 〕