パートナー通信 No.72

〔年頭の挨拶〕「私自身」ができること 代表  大 浦 暁 生

 あけましておめでとうございます。お子さんやお孫さんと楽しいお正月を過ごされた方も多かったのではないでしょうか。

 私も中学1年生の孫に、「おじいちゃんたちが書いたんだよ」と言いながら『わかりやすく言いかえた子どもの権利条約』のパンフを手渡し、「子どもの権利でいちばん大切なものは何だろう」と問いかけてみました。答えはすぐには出ませんでしたが、「生きる権利」が何よりも基本だとわかると、何度もうなずいていました。

 子どもの権利の基本が生命であり、そのためには平和が必要なことは言うまでもありません。しかしいま、日本をめぐる国際状況は実にあやうい。北朝鮮もアメリカも核の「抑止力」を信じて軍備を進め、何かのはずみで戦争が起こりかねないのです。日本はアメリカの「核の傘」の下にいるというのですから、これほど危険なことはないでしょう。

 これと正反対の考え方が、すべての核兵器を廃絶しようという主張です。人類の圧倒的多数がこの主張の賛同者で、昨年7月、国連で核保有国など(残念ながら日本も)の反対を押し切り、「核兵器禁止条約」が大多数の国ぐにの賛成を得て可決されました。

 条約の可決推進役の一つが国際反核団体「ICAN」です。ICANは昨年秋にノーベル平和賞を受賞したことで脚光を浴びましたが、広島と長崎の被爆者も数多く参加しています。サーロ節子さんもその一人で、「核兵器は必要悪などではありません、究極の悪です」とノーベル平和賞受賞スピーチで訴え、満場の拍手を受けました。このスピーチは広島での被爆体験をなまなましく語り、じつに感動的でした。

 私が注目したいのは、たとえ語呂合わせとはいえ、この会の名称が一人称複数を主語とするWECANではなく、一人称単数のICANであることです。2008 年のアメリカ大統領選挙で、オバマ候補はYes, we can.を合言葉に、国民と大統領の協同で改革ができるという思いをかきたて、当選しました。I can.はそれとどう違うのか。

 I(自分自身)を主語としてcan(できる)を考えることは、他者と力を合わせることをけっして否定するものではありません。しかしその場合でも自身が行動の主体であり、自分には何ができるのかをまず問うのではないでしょうか。自己を核兵器廃絶実現のために行動する主体的な一員だと、誇り高く認識しているとも言えます。

 思えば私たちは、核廃絶と平和のため、そして子どもたちの幸せのためにも、自分自身としてできることが数多くあります。集会やデモへの参加、署名への協力、このような会の活動を物心両面で支援することなどなど・・・。自分でなくては言えない孫へのさりげない一言が、心を明るくすることだってあるかもしれません。

 この一年も、子どもの最善の利益にささやかでも貢献しながら、平和に楽しく過ごしたいものです。会の活動へのご理解、どうぞよろしくお願い申しあげます。


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