パートナー通信 No.90
特集①校則改正への取り組み 高柳伊吹
高柳さん(現・大学生)から高校在学中に校則改正に取り組まれた報告をお聞きする機会がありました。子どもの権利条約12条「意見表明と参画の権利」の観点から『パートナー通信』へのご寄稿をお願いしました。
はじめに
私は高校時代に自分の高校の校則に対して不満を持っていました。それはスマートフォンの使用制限や髪型・服装に関する校則まで多くのものがありました。そのなかでも主たる不満が容姿に関する校則に対してです。容姿に関する校則は様々なものがあり、ツーブロック禁止、制服登校の義務、眉毛に手を加えていけないこと、アイロン・ワックスによる髪の毛の加工の禁止、さらには男女間で髪の長さの制限が異なっているというものもありました。これらを含めた制限の一部は生徒手帳に記載されていないものもあり、強制力を持ったある種の慣習法のようなものとなっていたのです。
私自身校則に不満を持ち、改正に取り組みましたが「校則」というものすべてに否定的な考えを持っているのではありません。「自由」の定義にもよりますが、大人へと近づいているものの、まだ未熟である高校生に対して何も制限をかけずにすべてを自由にさせるのは正しくないと考えていました。つまり私が校則を変えようとしたのは、自分がただ校則に縛られたくないという理由だけではなく、正当な理由もなく学校側が一方的に制限をかけ、生徒たちが不満を持っているのになにも変わらない・変えられない現状に納得していなかったからなのです。はじめに挙げた私の高校で違反とされていた校則に関して言えば、ツーブロックは禁止とされているが清潔感はあるし、ワックスは髪型を整え、アイロンもくせ毛を直すことも可能だ。眉毛も手を加えたほうが見栄えはいいだろう。私はただ単に教員や学校と対立したわけではなく、単純にこれらの校則が認められていないことに疑問を感じていただけなのです。
高校1年時の生徒総会
中学の頃から校則は緩いものではなかったので、自分の身だしなみや行動が制限されることは慣れていました。そのため高校入学当初から不満はあったものの、ただルールに縛られていました。そのようななかで私を変えたのが、私が高校1年生であった当時の生徒会長です。彼は生徒総会のなかで最後の5~10分だけ時間をもらい、その中で時間を気にせず約1時間近くパワーポイントや企業のデータを用いてツーブロックの許可を求める発言をしました。彼の行動に教員たちはざわつきはじめ、私も唖然としていました(笑)。彼の行動によって校則が変わることがありませんでしたが、高校生の凄さを感じ、私は彼にインスパイアを受け、「自分も高校生になり大人へと近づいたので、彼のように正しいと思うことに対して勇気をもって発言してみよう」と思ったのです。
高3・前期生徒総会での提案
そして私は校則を改正するためにはどうすればいいのかと考え、高校3年生時コロナ禍のためオンラインで行われた前期生徒総会において友人と自由発議の場で改正を提案しました。発言の内容としては「ブラック校則の廃止」「校則で制限する理由の説明」「校則の明文化」「校則に関する生徒と校長との対談」などの要望です。これらの要望に加えて、過去の文部科学大臣・県知事のブラック校則についての言及の引用や全国の過去の事例、企業のアンケートデータなどを提示し、正当性を主張しました。しかし、私たちの発言によって校則が変わることはありませんでした。ですがその後、多くの人から声をかけてもらい、SNSでメッセージをくれた人も多々いて、「何かできることがあれば手伝う」と言ってくれた人もいました。下級生も含めた多くの生徒が私と同じ考えを持っていてくれたのです。それと同時に他の生徒は学校や教員に対して反対の声を大にして、意見を述べることを恐れているということも分かりました。実際に、私と共に発言した友人も部活の顧問に圧をかけられていました。私自身は顧問の先生が信頼させていただいている人で、私の言動に対しても否定的な考えを持っていなかったので気軽に意見を述べることが出来ていました。しかし多くの人が部活に所属していることや大学進学の推薦にも関わるという理由から教員の目が気になり問題を起こすことが出来ないということは明白でした。
後期生徒総会に向けて
私は自分の発言内容が論理的ではないことが変化のなかった原因ではないのかと考え、後期生徒総会に備えて、より正確なデータを集めようとしました。その後、私はSNSを利用し校則に対して同じような不満や問題意識をもった全国の高校生たちと出会い、当時2つ年離れた同じ群馬の高校1年生と出会ったのです。彼は中学時代から校則に不満を持ち、ブラック校則を無くす取り組みを始めていて私も協力をし始めました。そこで私は彼が全国の自治体に開示請求して集めた膨大な数の校則を得ることが出来たのです。そこで得た群馬県内の公立高校すべての校則を見比べ、私の高校の校則が他校に比べて厳しいのだと把握しました。しかし、多くの高校の実態は私の高校と同様に生徒手帳に明確な記載がないなかで制限されていたことが多かったので、正確なデータを集めることは不可能でした。その他にも、前期生徒総会での学校の生徒たちの良好な反応から、考えの共有やSNSでの拡散ならしてくれると考えました。そして校則のアンケートを実施すると多くの生徒が協力をしてくれ、全校生徒約680人にアンケートを送り、422人から回答を得ることが出来たのです。アンケートの結果では85.1%の生徒が校則や学校生活に対して不満を持ち、そのなかでも「雨の日の体育着登校の許可」を求める人が88%いることが分かるなど新たな発見もありました。
生徒会や教員たちの協力も
このようなことを経て、迎えた後期生徒総会ではオンラインではなく対面となり、全校生徒の目の前に立ち前期生徒総会よりも影響力や発言力を持てる環境下において発言することが出来ました。前期生徒総会で要望した内容と同様の発言に加え、集めたデータやアンケート結果を紙一枚の資料にして、職員室で友人四人と分担して各教員に手渡しをするということもしました。3学期に入ってからは、生徒会の人たちが教員に対して校則改正を求めるプレゼンテーションを行うということで、校則改正の活動に一緒に取り組んでくれる3年の有志の友人たちと手伝わせてもらいました。毎日放課後に取り組み、新たなデータを集めたり説得力のあるプレゼンテーションを作ることはとても大変で、そこでは「不満のある校則のすべてを一度に改正の要望することは難しいだろう」という結論に至り、「ツーブロックの制限緩和」「雨の日の体育着登校の許可」の2点をピックアップして細かく作成したのです。実際のプレゼンテーションでは10人ほどの先生を前に行いました。
私が主に行ったのはこれらの行動です。これらのプロセスを通して「ツーブロックの制限緩和」「雨の日の体育着登校の許可」の2つの試行期間が設けられました。しかしこれ以外にも他の多くの生徒が知らない出来事もありました。私たちが校則の改正を求めていた中で、社会科の先生方が校長先生に対して「校則改正に関する要望書」を作成、提出するなどをしてくださっていたのです。
正直これらの活動は大変でした。3年生になってからの活動で校則が変わるとしても自分の在学中に完全に改正することは難しいだろうとわかっていました。しかし、校則を変えようとしたきっけは自分がただ校則に縛られたくないという理由だけではなく、学校側が一方的に制限をかけ、生徒たちが不満を持っているのになにも変わらない・変えられない現状に納得していなかったということでした。そもそも、不満を持っている生徒でも表立って行動する生徒が少ないなかでなぜ私が行動できるようになったかというと、2学年上の生徒会長が行動に移していたことが理由でした。そのため、下級生に行動に移す大切さを知ってもらい、さらには卒業する自分に利益がなくても卒業後に学校が変わり下級生になにかしら影響を与えられればいいと思い活動しました。
私は現在、法学部政治学科を専攻し大学に在籍しています。大学で勉学に励み、さらには年齢を重ね社会人に近づくとともに、世界の情勢や日本社会の現状について知る機会が増えました。私は高校時代に取り組んだ校則の改正を求める活動が今の自分に大きな影響を与えていて、さらには今後の自分自身にも大きな影響を与えると感じます。校則改正に対する自分への利益はなかったものの、校則改正を成し遂げたことに関しては、とてもいい経験になりました。実現したことにより「自分たちの力で物事を変えられる」という自信につながり、これは選挙権が与えられ、成人になった19歳の私からすると政治的な面でも「自分が投票すれば変わるかもしれない」といったような考えにもつながっていると思います。逆を言えば、今の僕たちのような若い世代は「自分たちで行動を起こし、聞き入れてもらって変革する」というような経験をしていないから、「どうせ何も変わらない」と思ってしまうことで政治的関心の低迷にもつながっているのではないのでしょうか。
おわりに
最後に、これらの活動は多くの人との関わりがあってこそなしえたことだと思っています。自分ひとりではできなかったことだし、反撥することで自分に不利益が生じるかもしれない「学校」という組織に対して、協力して行動してくれた方々に感謝をしています。私は現在も高校生時にSNSで出会った友人が代表として運営している団体に所属しています。そこでは全国の自治体に開示請求をし、校則を集めて「全国校則一覧」という誰でも全国の公立高校の校則を見ることが出来るサイトを運営しています。これからは正当な校則が中学生にとっての高校を選ぶ条件の1つとなり、さらには現状のように周りからの目や上からの圧を気にする必要がなくなり、生徒と教員の両方が主体となっていける学校が増えていくべきだと思います。