パートナー通信 No.72

シリーズ「保育園は今―①」
「豊かな保育実践の研究・創造」と
「保育条件改善」の二つの運動
岡田愛之助(群馬保育センター副会長)

はじめに

 私が理事長をつとめる「つくし保育園」(伊勢崎市境)は、今年創立50周年を迎えました。今から50年前、全国各地に「ポストの数ほど保育所を」という運動が広がっていました。

高度経済成長政策のもとで、「子どもを預けて働きたい」という女性たちが増加し、保育所づくり運動がうねりのように巻き起こりました。当時の保育所は「3時お迎え」が当たり前、「乳幼児保育などとんでもない。子育ては母親の仕事」という女性観が支配的で行政の壁はかなり固いものでした。そうした中で群馬県内でも、「自分たちで保育園をつくろう」という「共同保育所づくり」のとりくみが前橋、沼田、境町、高崎で次々とはじまりました。運動の担い手は新婦人や母親連絡会などの女性団体と地域の労働組合でした。私たちは、保育時間の延長や産休明けからの乳幼児保育など働く女性の権利を保障するとともに、子どもたちの豊かな成長を保障する保育の質の向上をめざしました。私たちの先輩たちは署名を集め、議員を一人ひとり説得し、行政への陳情を繰り返しました。3年がかりの運動が実って1968年4月、旧境中の校舎の一部と敷地が無償で町から提供され、「境町乳幼児保育所つくし保育園」(無認可)が創設されました。職員4人、園児18人の小さな保育園の船出でしたが、その3年後には社会福祉法人の認可が下りました。

 半世紀の歴史を経て、800坪の敷地と鉄筋コンクリート2階建ての園舎で90人を超える子どもたちが元気に飛び回っています。今では「乳児からの保育」「長時間保育」は全国、どの保育園でも「当たり前」になりました。先人たちが汗を流しながら植えた小さな一本の苗木が、みんなの力で大樹に育ちました。「共同保育所づくり」の運動が戦後の保育制度を大きく転換させる原動力になったと言えるのではないでしょいうか。
 児童福祉法の24条には「市町村は、保護者の労働又は疾病その他の政令で定める基準に従い条例で定める事由により、その監護すべき乳児、幼児、児童の保育に欠けるところがある場合において、それらの児童を保育所において保育しなければならない」と規定されています。この法律に照らせば、現在の「待機児童」問題は、政府・行政が「法律違反」の怠慢を続けていることにほかなりません。
 その後も「共同保育所づくり」の運動が群馬でもさらに渋川、富岡、藤岡、桐生、館林と各地域に広がりました。しかし、「共同保育所」の運営は常に多くの困難があり、園長先生の苦労は絶えませんでした。それは歴代自民党政権による軍拡と福祉切り捨て政策のもとで、劣悪な保育条件が押し付けられてきたからです。「職員賃金の公私格差の是正」「職員の配置基準の改善」運動のスローガンでした。しかし同時に、多くの困難の中でも、園長先生を中心に保育職員は「豊かな保育」の実践・創造をめざし、学習・研究運動をつづけてきました。

 「つくし」保育園が創設された翌年の1969年、全国の保育者、父母、研究者、栄養士や行政機関など、保育に関わる人々が集まって第1回全国保育団体合同研究集会(略称・全国合研)が 開催されました。これは全国的な保育運動が「保育条件の整備」と「保育実践の向上・研究」という二つの側面から追究されてきたことを見事に示しています。「つくし」保育園でもこの全国合研に第1回から職員や父母が参加をしています。

「群馬保育センター」結成と運動の発展

 こうした中で、共同保育所の園長先生を中心に、「条件整備」と「保育実践」の課題で、日常的に情報交換、交流・連携する場を作りたいという機運が高まり、共同保育所を中心とする交流・懇談の組織的な活動が始まりました。そして1985年、「つくし」など17園が参加して「群馬保育問題連絡会」(略称「群馬保育センター」)が結成されました。
 群馬保育センターの結成により、群馬の保育運動は飛躍的に発展してきました。全国保育問題連絡会(全保連)に結集し、政府や県に対する要求運動も活発になりました。「全国合研」への参加者も増え、2002年から毎年、「群馬保育のつどい」を開催するようになりました。毎年取り組んできた国会請願署名の集約数も年々増え続け、はじっまた当初は全県で約2万筆程度だったものが最高時には約10万筆にもなりました。毎年11月に日比谷野外音楽堂で開かれる「より良い保育を求める全国集会」に、群馬保育センターは各園から大型バスを仕立てて大勢の職員・保護者が参加し、最近では毎年約500人が参加します。

「全国合研」群馬開催成功の原動力
―「全県自治体訪問」

 こうした群馬保育センターの運動の発展を象徴するように、全保連から「全国合研」の群馬開催が打診されます。2年がかりの議論の末、2012年の「全国合研」群馬開催を決定します。私たちは「全国合研」開催を引き受けるにあたって、「群馬らしい合研をめざす」こと、そして「合研を群馬の保育運動の飛躍のチャンス」にすることを確認しました。
 実行委員会から要請された集会規模は8000人。そのためには群馬から3000人以上の参加者を組織する必要がありました。

 私たちは考えました。このとりくみは「群馬保育センターの枠組みで考えては到底できない。 群馬県全体、群馬のすべての保育所、幼稚園、学童保育を視野に入れたとりくみにしなければならない」と。そこで、具体的には二つの組織的戦略を立てました。一つは、県内すべての自治体を直接訪問し、「後援」を取り付け、協力を要請することと。もう一つは県内にある約400の公私立保育園すべてを訪問し、参加と協力を訴えることにしました。結果的には、この二つの「戦略」を完全にやりきりました。すべての自治体から後援の取り付けに成功しました。そして群馬合研には全国44都道府県から7531人が集い、県内からは3390人と目標を突破する参加者を得て、大きく成功しました。
 群馬保育センターは「全国合研」終了後も、この全県自治体訪問を「自治体キャラバン」と銘打って、毎年秋に約1週間の日程で集中的にとりくむことにしました。今年で9年目を迎えます。
 「自治体キャラバン」の具体的な展開は次のようなものです。
 はじめに、「懇談内容」の検討です。次は事務局から保育センターの希望する日程を書きこんだ「懇談のお願い」を各自治体に郵送し、日程調整をします。

 次は、「キャラバン」の班編成です。中毛、西毛、東毛の三つのブロックに分け、それぞれの自治体ごとに4~5人の訪問団と責任者を決めます。この訪問団編成にあたっては、ベテランの園長の配置とともに、若い職員や保護者の参加も重視します。
 行政の対応は自治体によって異なりますが、多くは保育行政の担当者です。中には首長が対応する自治体もあります。懇談では「保育センター」が取り組んでいる要求課題などを説明し、行政の担当者の意見をききます。この際、大事にしていることは、保育現場の実態を具体的に話し、理解を深めることです。行政の側から情報を求められることが少なくありません。他市町村のすすんだ政策なども紹介します。
 最後は保育センターの事務局会議で「自治体キャラバン」のまとめをしっかり行い、情報を共有するとともに、課題を明確にします。

現場の苦労、悩みに理解が深まる「自治体キャラバン」

 「自治体キャラバン」の教訓をまとめると以下のようになります。
 第1は、各自治体によっては、はじめ歓迎されないところもありましたが、いまではすべての自治体が訪問を受け入れ、「群馬保育センター」への理解と信頼が高まったことです。私たちは「要求」で「向き合う」のではなく「懇談」を貫くことで、「ともに良い保育を創っていく」という相互の信頼関係ができます。
 第2は、現場の保育の現状を行政の担当者に、具体的に知らせ理解が深まったことです。職員の国の配置基準では3歳児が20人に1人の保育士となっています。現場の実態を県内中に広げる中で、群馬県は独自に3歳児18人に1人の保育士の改善が行われました。小さな改善ですが大きな一歩です。
 第3は、保育士や保護者が他市町村の行政担当者と懇談する経験は、園長や保育士の力量、保護者の意欲を高める機会となります。俗にいえば「足腰を鍛える」ことです。保育実践とともに「保育運動」の後継者を育てる機会でもあるのです。
 第4は、こうした運動の積み重ねは「群馬保育センター」の県内における政治的地位を高めました。

 保育の営みは子どもとともに未来を築く仕事です。国連子どもの権利条約は、「人格の全面的かつ調和のとれた発達」(前文)を謳い、 「子どもの生存および発達を可能な限り最大限に確保する」(第6条)ことを求めています。 私たちはこの崇高な使命を自覚し、「豊かな保育実践の研究と創造」と、そのための「条件整備の運動」の二本柱をしっかり堅持し、さらに運動をすすめたいと思っています。

(写真は本文の内容とは関係ありません。)


inserted by FC2 system