パートナー通信 No.58
総会第二部 ぐんま教育文化フォーラム・群馬子どもの権利委員会 共同企画
トーク&トーク『いま フクシマの子どもたちは…そして群馬では』
総会第二部
ぐんま教育文化フォーラム・群馬子どもの権利委員会 共同企画
トーク&トーク
『いま フクシマの子どもたちは…そして群馬では』
東電福島第一原発事故は、いまだに収束からは程遠い状況です。子どもたちの命や生活のことが心配です。松本佳充・鈴木裕子両先生から、ふるさとを奪われた福島の人々、とりわけ子どもたちが向き合っている現実とさまざまな思いが報告されました。参加者からも複雑な思いや復興への願いが率直に語られました。
もう、ふるさとに帰れない
松本先生は、大震災後の6月から作り始めたという、画像や統計データを記録した200枚を超えるスライドの中から、荒れ果てて行くふるさとの姿や翻弄され続ける高校生の様子に焦点を当てて話されました。
当時は双葉高校に勤めていた。避難命令が出されて他の高校(サテライト校)へ、散り散りに避難することを余儀なくされた高校生たちの生活は、教科書・ノート・鉛筆1本もない状況からスタートした。
間仕切りやプレハブの窮屈な教室、職業科目の実習も不可能、教員の数が足りなくて成立しない科目、行事や部活動も実施困難、8割あった県内就職は2割に激減、将来どこに住み着くかも定かでないなか、どの地域に就職するか悩んだ。親の失業で奨学金返還も不安なため進学を諦めるといった劣悪な学習環境である。今年の卒業生は、震災の年に高校入学だから、自分の母校には一度も入らずに仮設の母校から卒業していった。
双葉高校では入学希望者が13人にまで減り、浪江小学校はH25年度希望新入生ゼロと、ふるさとの学校が消えていく。人が居なくなれば復旧・復興も成り立たない。
震災当時の双葉や浪江のガレキの町並み、田畑、常磐線の線路、ご自宅が、時間の経過とともにそのまま荒れ果てていく数々の画像、そして先生ご夫妻の車を追い続ける愛犬タロの姿が目に焼きつけられました。
考えて、選び取る力
鈴木先生は、川俣高校で生徒たちと作った文化祭パワーポイント資料を紹介しながら、「ふるさとの味」作りのドラマを語ってくれました。また、その後の学校生活の折々に生徒が書いた感想文を紹介して、困難に立ち向かいながら、授業や地域とのつながりを通して一歩一歩成長していく生徒たちの姿を明るく語られました。
文化祭で支援を受けたから今度は自分たちで出来ることはないかと、仮設住宅のじいちゃん・ばあちゃんと蕎麦がきを作ったり、授業で縫った浴衣を着て夏祭りに参加したり、敬老会に参加したりと、地域とのつながり深めていった。フランスの高校生からの励ましのメッセージを卒業式に飾り、地域の小・中学校にも回したりした。京都の高校生と一緒に地域の人たちと交流すると、ばあちゃんから「川高生も喋りたいみたいだよ」と言われるほど生徒たちは自分の体験や思いをいっぱい語って止まらなかった。さまざまな交流を通して、本当に地域の人に生徒は育てられ、大人になれたかなと思う。
鈴木先生は、まさに命を守る選択の連続だった生徒たちに、話したり書いたりする機会をたくさん与えて、体験した事実を記憶にとどめ、自分の考えをまとめさせています。また、家庭科の授業について、教師が正解を押し付けるのではなく、生徒が自分で考え、自分はどちらを取りたいか選べるようになってほしい。それにはやはり「人権」、個人の尊厳とか、幸せに生きる権利とか、憲法を含めて、その自分たちの権利が今どうなっているかに気づける「ものさし」を手にいれられるような授業を作りたいと話されました。
後半のフロアーからの発言に対して、両先生は一つ一つ丁寧にコメントされ、まさに対話と交流の場になりましたが、紙面の関係でまとめた形で紹介します。
Aさん:昨年、南相馬へ行ってきた。牛がみな野放しになっていたが、あの牛はどうなっているのだろうか。
Bさん:放射能の基準値に関連して新たな「安全神話」が作られているような気がする。タバコと比較してガンの可能性が語られるなどに違和感を感じる。
Cさん:昨年、福島の高校生と話したが、もう、放射能のことは話したくないとか、原発について、仕方がない、安全が確認されればいいなどの容認する意見があった。その後どうなっているだろうか。
Dさん:お二人と同じ意見ですが、奪われたふるさとをとり戻すのは、福島を追い出された人以外他にはできない。でも、その先へ進めないでいる。日本中の人がそう思わなければ、大人数の人たちで力になるように動かなくては。
Eさん:実家が浪江町です。荒れていく実家を見るのがつらい。個人通信『ミツバチの羽音』を出している。福島駅前にある福島共同診療所を支援してほしい。
Fさん:なによりも被災地を訪問して事実を見て感じることだ。そしてそれを人に伝えることをしなければと思う。エスペラント語を使って世界中に発信している。
Gさん:仕事の関係で福島を訪れることになるかもしれないが、正直に言って「被曝する」ということを引き受けるという感じになっている。福島では家族や友人の間で意見が分かれて、といった話も聞いたが、家族もとてもナーバスなので、行くべきか迷っている。
Hさん:前の会報で読んだ「答えのない問いに向き合って」の言葉に引っかかっていました。答えはある、「原発をなくすこと」でしょうと短絡的に思っていた自分がいました。今日のお話で、どこを見ても不安だらけのなかで、本当に光を見せてくれた。子どもたち一人ひとりが、アッそういうことなんだと気づき、みんなの思いがつながり、それぞれのところで希望が見えてくる。学び・育つ教育ってこれだと、本物の話を伺いました。
Iさん:数ヶ月前、いわき市のママたちの講演を聞きました。保育園や地域の除染を徹底してやったり食品もすべて測定した。印象的だったのは、今は福島県産のものが数値が出ない。やはり、精密に測ることが基本で、安全をちゃんと担保することが大事だと思う。
Jさん:他の原発立地自治体や議会あるいは周囲に住んでいる人たちが福島に視察にきているか。マスコミは第二・第三の事故に対して万全の対応が取れているか調査して国民に知らせる責任があると思う。マスコミを動かすには我々がモノ言わないとダメだ。
奪われたふるさとをとり戻す
松本先生:私の感想ですが、私のふるさとは56年目です。きれいな川に鮎もヤマメもいます、鮭も上ってきます。魚や野菜を親戚に送って喜ばれました。でも、いまは何にも誇れるものがありません。退職したら、鮎の友釣りでもして優雅に過ごそうと思っていましたが、もうその夢はすべてなくなりました。いま辛いのは、他の地域に行ってもコミュニティーがないんですね。ふるさとというのは山・川それに田圃とかあるのが当然ですが、助け助けられて生活してきたものがすべて分断されて、これから築けといわれても不可能です。墓をどうするか、30年後に息子はどうするのかとか、答が出ません。でも前に進むしかないんだとやっています。
鈴木先生:私は最初、震災から11月頃までは落ち込んで、なにかやるとすぐに泣いていて喋れない状況でした。いろいろな人のところにいって喋っているとだんだん元気が出てきて、結局生徒も同じで、聞いてくれる人がいるというのはありがたいです。人々のつながりをズタズタにされたけれど、それをまたとり戻すのはつながりなんだなと思います。教育の中身が成果として現われてくるのには本当に時間がかかります。教育が大事だから安倍政権も教育を変えようとしている。コレは人間にとって良くないと肌で感じる感覚を育てたいです。先ほど迷っていますというお話がありましたが、そういう迷っていることも言える、いろいろ意見を言える、言い合えるということって大切なんだなと思います。